top of page

みかんの木が地域、人、世代、をつないでいます。

五ケ所湾ふるさとの会

 今や珍しくなくなった地方と都市の交流。

物流や情報網が発達し、 産品や情報の交換があたりまえに行われていますが、

1983年、まだインターネットも物流も盛んでなかった時代、

ふるさとを離れて生活している人に少しでもふるさとを感じてもらおうと

「五ヶ所湾ふるさとの会」が発足されました。

発足以降Green&Greenは事務局を担い、

会員誌「はまぼう」の発行やオーナー制みかんの木の手入れ等、

情熱が注がれています。

(以下、FM三重「ウィークエンドカフェ」2012年7月7日放送内で放送された内容を抜粋します)

 

1.png
5.png
6.png
furusatokai.jpg
4.png
8.png

■みかんのオーナー制度からスタート!

一番最初は、みかんの木がたくさんあるので、みかん園を基点にして何かしたらどうかと。
そこで、みかんの木に会員さんの札をかけて持ってもらおうと。
つまり、みかんの木のオーナー制度です。

みかん生産者中島幸一

『五ヶ所湾ふるさとの会』は、ここからスタートしたんですね。

ふつうは「何かしよう」というと、地域内で固まってしまう事が多いですが、

我々は、会員さんを全国から募ったんです。

当初は今のような発信力がなかったのですが、当時としては珍しい取り組みだったので、

3~4社の新聞が、記事として取り上げてくれたんですね。

みかんの木オーナー制度
10.png
11.png
1.png
12.png
11.png

■五ヶ所湾は素晴らしいところがたくさん!

実は五ヶ所湾には、野口雨情の歌碑が10ヶ所以上あるんですよ。
去年の春の催しでは、この五ヶ所湾に一番大きく突き出た

半島にある漁村『中津浜』に行きました。
ここは、野口雨情が土地の人に篭(カゴ)に乗せてもらい、

『中津浜』まで連れて来てもらい、その夕日を眺めて感銘を受けた…という場所なんです。
目の前が、五ヶ所湾の真ん中で、南側が太平洋。
その半島から見える夕日というのは、本当に絶景です。
しかしまず、ほとんどの方は知りませんね。

そこで私たちも、歩いて姥樫の小道を通って、

先端の金毘羅さんまでハイキングしました。
到着したのはお昼だったので、夕日は見えませんでしたが、

目の前は絶壁で、太平洋が広がっていて、素晴らしい眺めでしたよ!

9.png
12.png
ふるさとの会交流会

他にも、五ヶ所湾の東の端の田曽浦に

『ボラ見小屋』という改修された小屋がありまして、

慈眼寺の小道を上がっていくと到着します。
ここでは、昔、ボラの大群が来るのを見張っていたんですね。
来ると、大声や鐘で村の人に知らせて、これから船を出すぞ、と。
村人総出で、魚の大群を捕まえたんですよ。
もう戦前の話になりますが。

ここは表の海なので、太平洋が真正面。
岐阜県からいらした方が、この水平線を見て、

「地球は丸いんやね!」と感動されていたのが、忘れられません。

13.png
9.png
ふるさとの会交流会

■『はまぼう』を読んだ会員さんからの便りが楽しみ!

はまぼう原稿

『はまぼう』の編集長は現在3代目。
記事はメンバーから寄せられています。
その内容を一文字一文字心を込めて、仲間である徳田さんが清書してくれています。

会員の方はけっこう読んでくれていますね。
お便りも多く、我々もいろいろ励まされています。
いただいたお手紙はこちらでまとめて、

それをまた『はまぼう』誌上に載せて…

会員さんとのキャッチボールのようなことになっているかな。

会を始めて35年近くになりますが、一番最初の発足時からの会員さんが、

まだかなりいらっしゃるんですよ!
静岡県の方は、初めて五ヶ所浦に来てくれた時、お腹が大きかったんです。
そのお子さんが大きくなられて、去年結婚されて、

さらに今年の年明けに、お孫さんができることもわかりまして。
お孫さんを連れて、もう一度五ヶ所浦に来たいと。
そういう方が、何人か見えますね。

だから、こうして来てくださる会員さんのために、本拠地のような場所が欲しいです。
ここの地区は今、空き家が増えていますので、

それを活用して『ふるさとの会』の家として、一軒作りたいですね。
会員の方が来たらくつろいでもらえて、一泊か二泊だったら宿泊もできる…そんな家が持てたらいいな、と思っています。

12.png
2.png
Instagram
nakazimakoichizimibukaki.jpg
bottom of page